たまたまネットで、あるお店の閉店のお知らせの写真を見つけてしまった。
そこにはこうあった。
お客様へ
このたび、居酒屋とらやを閉店いたしました。
お客様には、心から感謝いたしております。
長い間、本当にありがとうございました。
阿部ルリ子
盛岡の名居酒屋「とらや」が閉店していた
知りたくなかったが、知らない間に盛岡の名居酒屋『とらや』が閉店していた。昨年の暮れあたりだそうだ。
今頃初めて知ったのかよ?と言われそうだが、盛岡を訪れたのが一昨年、年の瀬も押し迫った頃が最後だから知る由もない。
ここ最近は以前活躍されていた方々の訃報が相次いでいるが、長年歴史を積み重ねてきたこのお店の閉店は老舗居酒屋と言えども大きなニュースにはならないのだ。
「とらや」だけではない消えゆくお店
とらやだけではない。盛岡市内では2017年から旧市街地を中心に老舗の閉店や歴史ある建物の取り壊しが相次いでいるらしい。
樋口一葉以前の五千円札に肖像が使われていた新渡戸稲造と縁が深く『新渡戸メニュー』でも知られた『レストラン公会堂多賀』が閉店。
1872(明治5)年創業、元祖あべ川餅の『丸竹本舗』と『丸竹茶屋』がその145年の歴史に幕を閉じて閉店。
戦後間もない食糧難の時代に発足、明治末期に井弥商店店舗だった土蔵造りの建物に店を構えたいたパンと焼き菓子のお店『盛岡正食普及会』も長期休業から再開することなく閉店。
創業から40年間幅広い層に愛され続けた大衆食堂『北王』や45年の歴史ある喫茶店『六分儀』も相次いで閉店。
閉店していても記録しておきたい「とらや」
そしてここまでもが閉店してしまった。何故閉店してしまったのか?の詳しいことはわからないが、また必ず伺いたいと思っていただけに、その残念さを言葉で表すことは出来ない。
もう閉店してしまっているお店の情報など誰も必要としていないと思う。けれど閉店を知ってしまった以上、記憶には充分残ってはいても、やはりその存在は記録しておきたい。
「とらや」はこんなだった(けど過去形では記録しない)
盛岡の飲み屋街
盛岡で飲むとなれば、先ず北東北最大の繁華街である大通り・菜園あたりを思い浮かべる方が多いだろう。ただそこだけではないのが盛岡なのだ。
城趾にある櫻山神社の門前には土産物屋ではなく、軒を連ねる木造二階建てには様々なお店がひしめいている。戦後はバラック建ての闇市、そして商店街、今では人気の飲み屋街だ。
そして、中津川・中ノ橋を渡ったところにあるのが八幡町。盛岡八幡宮の社殿造営に伴い参道がつくられ、門前町として町割されたのがその名の由来。
「とらや」は昭和36年創業でもうすぐ還暦だった
その八幡町の入口近くに盛岡に来たら決して外すことが出来ない古い居酒屋があった。創業は昭和36年と還暦間近だった『とらや』だ。
そう考えるともう充分だったね、ゆっくり休んでねという気持ちが湧き上がってくる。
でも長年通い詰めた常連さんも数多く居ることだろう。きっと寂しい思いをしているに違いない。いったいここのご常連さんは今度は何処に通うことになるのだろう。
「とらや」へのアクセス
盛岡駅からもし徒歩で行くとなると30分近く掛かる。最初にここを訪れた時は良い運動になるだろうと歩いて向かったが、雨がしとしと降っている中での徒歩は結構辛かった。
盛岡都心循環バス『でんでんむし』ならどこから乗ってどこで降りても100円だから、これで近くまで行くのが良いかもしれない。
盛岡大通繁華街の中心地にあるホテルに宿をとってタクシーで行ってチェックインしてから10分ほど歩くスタイルもありだ。
お店はこんな感じ
店に近付くと『と』・『ら』・『や』と一文字ずつ白地に黒く浮かび上がっているのが見えてくる。格子の内側には『居酒屋とらや』の文字が少し黄色がかった背景にぼんやりと浮かぶ。
なにやら映画のセットみたいな雰囲気だ。縄暖簾がまた良い。毎日何人もの人がここをくぐってきたんだろう。
中に入れば15,6人くらは座れるだろうL字カウンターに茶色の古い椅子。左手正面に洗面所があってその隣にはテレビ、その奥には狭いがテーブル席が1つある。
入り口脇左には二階へと上がる階段があるが使ってはいない感じだ。決してキレイとは言えないが清潔でいかにも昭和の大衆居酒屋というこの雰囲気は好きな人には堪らないだろう。
迎えてくれるのは女将さん一人。彼女が全ての客を相手する。この方の人柄の良さはここで語るまでもない。初めての時でもいつも飲んでいるお店のような気分にしてくれる。
厨房の様子は全く見えないが暖簾で仕切られた小窓から料理が出てくる。暖簾の向こうにはご主人と美人と噂の娘さんが丁寧な仕事をしている。
「とらや」メニューあれこれ
ここではお通しは出ない。板に書かれた定番メニューかホワイトボードに書かれた本日の肴から好きなものを頼めば良い。250円から色々とある。
日本三代居酒屋湯豆腐の一つ
ここで先ず食べたいのは夏でも冬でもやはり『豆腐』に尽きる。豆腐自体も地元では有名な豆腐屋さんのものらしいが、ここでの食べ方だと更に美味しくなるのだろう。
冬なら小さなアルマイトの鍋に豆腐、ネギ、春菊、えのき、かまぼこが入って出される。中央の削り節がたっぷりとはいったポン酢に付けて食べるとこれはもう本当に美味しい。
夏なら軽く出汁で煮た豆腐に、鰹節、ネギ、海苔がかかっているだけのシンプルなものが出てくる。だが、これに醤油をたらし食べるとやはりそこら辺のものとは違う。
太田和彦氏が以前『日本三大い居酒屋湯豆腐』と認定した1つがここのものだ。他の2つは、確か横須賀の『ぎんじ』と伊勢の『一月家』。
食べていないし比較出来ないので何とも言えないが、大阪の『明治屋』のものもここと同じくらい美味しいのだけれど、残り2つはどんな感じなんだろう?いつか食べてみたい。
絶品やきとり
ここでもう一品食べたいのが『やきとり』だ。
大ぶりの串二本で出されるやきとりはそとはカリッと中はジューシーでボリュームのある塩焼き。それ自体で既に美味しいのだが、それだけではないのがここのスタイル。
うずらの卵入りの大根下ろしをかき混ぜて醤油をすこしだけたらす。これにやきとりを絡めて食べると更に美味しさが増すのだ。
この独特のスタイルの食べ方は他では味わったことがない。そして一度食べたら忘れられない美味しさで、まさに絶品と言っても過言ではない。
げそ天と南蛮天など
いかげそのてんぷらはここの名物。結構な量なので一人の時は頼まないのだが、フワフワの衣に包まれたげそは柔らかく実は一人でもペロリといけそうな美味しさ。
南蛮天の南蛮は青唐辛子のこと。たまにアタリに当たるとこれはもう他の料理の味が良くわからなくなるので注意。
おひたしや酢味噌で頂く旬のもの
ホワイトボードにはその日その日の仕入れで出されるメニューが色々。刺身もあるが、意外に侮れないのが様々なおひたしと酢味噌で頂くもの。これも季節を感じられて幸せになる。
お酒は「菊の司」
お酒は『菊の司』オンリー一択だ。
『菊の司』は岩手県で1番古い蔵元だそうだ。創業は元和年間(1615~1623)。伊勢松阪から陸中郡山(岩手県紫波郡紫波町日詰)に移ったのが初代平井六右エ門。
初代が御宿を開業したのが始まりで、安永年間に六代目六右エ門が酒造業を開始。そして、今ではもう15代目という歴史ある酒蔵だ。
「とらや」の閉店はあまりにも惜しい…
そんなわけで書いていてまた行きたいという気持ちが込み上げてくる。でももうそのお店は今では存在していない。
存在していない以上もうあの雰囲気の中で飲んだり食べたり出来ないということだ。たかが居酒屋一軒なのだが、たかがでは済ませない、無くなってほしくないお店というのがある。
まさにここはそういうお店だった。
長い間、本当にご苦労様でした。そして心地良い時間を本当にありがとう。
「とらや」アクセス・営業時間などなど
もうこの世に存在していないが、これが「とらや」の基本情報だった。
住所:岩手県盛岡市南大通1-5-8
電話:055-232-3044
営業時間:17:00~22:00
日・祝休
その他:全面喫煙可
予約不可
おひとりさま居心地レベル:★★★★★(5★満点)
形あるものはいつかはなくなるものだ。そんなことはわかってはいる。
でも、あの店の雰囲気や料理やお酒の味を忘れることはきっとないだろう。
そしてどんどん美化されていくのも事実だ。
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