
寝台列車でグラナダへ

さて1986年のスペイン旅行、
マドリードを後にして向かった先はグラナダ。
その時の切符には、
BILLETE COCHES – CAMA とある。
Billete は切符だし、
Coches cama は寝台車。
その寝台車の Doble Familiar という二段ベットがある、
2人用の部屋で移動。
アト―チャ駅を発車したのは夜の22:30、
そしてグラナダに到着したのが朝の8:00。
寝台車に乗ったのはこの時が初めてで、
今のところこれが最後でもある。
狭い部屋だったけれど、
まあまあ快適だったと思う。
確か部屋には、
トイレとシャワーが付いていたはずだ。
途中長い時間停車していた駅があった気がするが、
何処だったのか?覚えていない。

その駅でナゼか時刻表と路線図が載っているボードと、
トイレを写真に撮っている。

駅のトイレって…と思うんだけど、
多分レンガ積みの立派な建物がトイレってなかなかスゴイ!と思って撮ったんだろう。

列車の写真があったので、
これに乗ってグラナダに向かっていたはずだ。
今ならAVEでたったの3〜3.5時間ほどで着いてしまうけど、
寝台車で行くというのもなかなか良いものだった。
グラナダの3日間は長過ぎた?
簡単な予定を記したノートの切れ端が残っていたので見てみると、
グラナダで行くべきところが書かれてある。
そこには、
アルハンブラ宮殿・大寺院・王の礼拝堂(・フラメンコ)とある。
かなり緩い予定で初日が大寺院と王の礼拝堂、
2日目がアルハンブラ宮殿。
夕方バルセロナで飛行機で向かうまでは、
El Albaicín と書いてある。
アルバイシンは、
丘陵にある白壁の家と石畳で構成された地区のことだ。
正直これだけなのに3日間は長過ぎだったなと記憶しているけど、
ある意味のんびり何もしない時間がたっぷりとあって贅沢な滞在だったとも言える。
グラナダ大聖堂

グラナダの大聖堂、
Catedral de Granada。
写真とチケットが残っているんだから、
間違いなく行ったはずなんだけど全く記憶にない。
トレド大聖堂はよく覚えているのに、
こちらはナゼだか全然記憶にないのだ。
じゃあ大したスポットではなかったのか?
と調べてみると全然そんなことはない。
いろいろとあちこちアップされている写真を見る限り、
トレドのそれに劣るとは全く思えない。
けれど、
やはり憶えていないのだ。
もしかすると、
トレドとの記憶がごちゃ混ぜになっているんだろうか?
トレドは2回訪れているから記憶が定着していて、
こちらは1回だから零れてしまったのかもしれない。

それにしても入場料は75₧と、
日本円でもほぼ75円という驚きの安さだ。
今では当然上がっていて5€みたいだけど、
トレド大聖堂の200₧から12€に比べると上がり方は一緒だけれど今でもそこまで高くはない。
グラナダ王立礼拝堂

グラナダ王立礼拝堂、
Real Capilla de Granada。
こちらについても、
全く記憶がない。
同じようにチケットがあるんだから、
行ったことは間違いがないんだけど。
礼拝堂の外観は、
トレドのサン・ファン・デ・ロス・レイエス修道院と同じモデルに従っている。
カトリック君主であるカスティーリャ王イザベル1世とアラゴン王フェルディナンド2世埋葬地として、
トレドにレイエス修道院が建てられたけど結局はこちらに埋葬されている。
夜はフラメンコ

ハルディネス・ネプチューノ、
Jardines Neptuno。
ここでフラメンコを見ているんだけど、
これも記憶にない。
そして、
このタブラオは今ではもう存在していないみたいだ。
記憶もなければ、
お店ももうない。

お店の前で写真を撮っているし、
たまたまここで出会った日本人3人組の女子旅行者とも写真を撮っているんだけど。
本当に行ったのか?というくらい、
グラナダの記憶が消えてしまっている。
ただ3人の中に1人可愛いコが居たことは、
覚えていたりするんだよなあ。
宿泊はメリア・グラナダとオテル・ヴィクトリア


宿泊先はどっちが先だったか忘れたけれど1泊はメリア・グラナダ、
Meliá Granada。

もう1泊はオテル・ヴィクトリア、
Hotel Victoria。


どちらもそんなに悪くはなかった、
というかあまり宿泊場所に関心がなかったかもしれない。
ホテルに泊まったことがまだ殆どなかったし、
まあこんなもんなんだろうと思っていたはずだ。
それにしても料金はかなり安くて、
時代の流れを感じる。
レストランテのレシート


どこで何を食べたのか?は覚えていないけど、
マドリード同様レシートがあった。
Meson las Vidrieras というレストランなのかな?
ここでも多分メニュー・デル・ディアを食べたんだろう。
2人で1,855₧と、
1人1,000円しなかったんだな。
アルハンブラ宮殿

アルハンブラ宮殿、
La Alhambra。

スルターン(国王)が住んでいたから宮殿と呼ばれているが城塞の性質も備えていて、
住宅・官庁・軍隊・厩舎・モスク・学校・浴場・墓地・庭園といった様々な施設があった。

グラナダをマドリードとバルセロナと同じように旅先に加えたワケが、
ココだったと思う。

さすがにココの記憶はあるけれど、
キレイなところだったなあという感想くらいしか残っていない。

確かに写真などを見ても素敵な場所だけれど、
もう1度どうしても行きたいと思うほどではない。

でも1回は見ておきたいところという意味では、
ちゃんと行っておいて良かったと思う。


アルバイシン

夕方の飛行機までは、
このアルバイシンをブラブラしていたはずだ。
サン・ニコラス展望台からの眺めは、
素晴らしく良かった。
展望台の名前の由来のサン・ニコラス教会、
白い建物がやはり絵になる。

このアルバイシンは丘陵の地区で、
中世ムーア人の統治時代の建築様式を残す一角。

グラナダの3か所ある世界遺産のうちの一つで、
イスラム色の強い町全体が世界遺産に指定されている。

この辺りは、
きっと今も同じで変わっていないんだろう。
グラナダのマドラサ

グラナダのマドラサ、
アル・アンダルス(イスラム教徒が中世にイベリア半島に付けた名前)最初の公立大学。
多分、
ここの写真と思われるものがあった。
こちらに敬礼をしてポーズをとってくれた方のバックの建物で、
背後のプレートに LA MADRAZA Universidad de Yusuf Ⅰ AYUNTAMIENTOVIEJO とある。
近くの路上には、
チョークで描かれたイエス・キリストの絵。

おまけ






というわけで…
今回は1986年のスペイン旅行、
グラナダ編。
スペインに今度訪れる際にはここは外れることになるけど、
アルバイシンをブラブラできたことは今でも良かったと思う。
もちろんアルハンブラ宮殿は1度は訪れるべきスポットだし、
今なら大聖堂も王立礼拝堂ももっと記憶に残る場所になっただろう。
一ヵ月くらいスペインに滞在するなら、
もう1度行きたいところではある。
そしてバルセロナへ

そんなある意味勿体なかったというか、
逆にそれが贅沢だったともいえる2泊3日過ごしたグラナダをあとにする。
向かった先は、
いよいよスペインのハイライトとなるバルセロナ。
今にして思うと、
トレドに始まってマドリード。
その後グラナダを挟んでからのバルセロナ、
というのは何となく良いバランスだったかもしれない。
そのバルセロナへは、
もちろん列車ではなく飛行機で向かった。
グラナダ空港は今現在ではフェデリコ・ガルシア・ロルカ・グラナダ=ハエン空港、
Aeropuerto Federico García Lorca Granada-Jaén GRX。
2006年にグラナダ出身の詩人、
フェデリコ・ガルシア・ロルカの名を冠して改名されている。
それでグラナダ市内からどうやってこの空港に行ったのか?
の記憶は案の定全く無い。
ただ市内から空港までは約20kmほど離れていて、
鉄道や地下鉄は通っていない。
なので、
移動は空港バスだったはずだ。
わかっていることは、
17:50にグラナダ空港を飛行機が飛び立ったこと。
そして、
19:00にバルセロナに着という短いフライトだったということくらいだ。
もしも移動手段が列車だったら、
かなりの時間を要したに違いない。
今でさえ高速列車の直行便でも6時間28分も掛るんだから、
当時だったらもっと時間が掛かったはずだ。
それでグラナダ空港がどんなだったか?
バルセロナ空港がどんなだったか?機内は?もいつものように何も覚えていない。
でもとにもかくにも飛行機はバルセロナ空港に到着したわけで、
その後は多分鉄道を使って市内に行った気がする。
ジョセップ・タラデラス・バルセロナ・エル・プラット空港

現在バルセロナ空港はジョセップ・タラデラス・バルセロナ・エル・プラット空港、
2018年に Aeropuerto Josep Tarradellas Barcelona-El Prat と名前が変わっている。
これはアドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港と同じで、
カタルーニャ州自治政府の元大統領に敬意を表して変えられたものだ。
このバルセロナの空港は、
マドリードの空港に次いでスペインでは2番目に利用者が多いそうだ。
2006年オープンの新しいターミナル1と古いターミナル2があって、
ターミナル間は無料シャトルバス(所要時間:20分ほど)が運行している。
マドリードの空港との間では『空の架け橋』、
スペイン語 Puente Aéreo / カタルーニャ語 Pont Aeri と呼ばれるシャトル便が運行。
2008年までは世界でもっとも忙しい航路で2007年には971便/週が運航されていたけど、
2008年2月にAVEの路線が開通して急速に人気を得たことで便数は減らされている。
ちなみに2025年時点では、
週の平均便数は1/10以下の73便だから本当に減ってしまったみたいだ。
いよいよバルセロナなんだけど…
到着した日に何をしていたのか?
は全然覚えていない。
そのままホテルにチェックインして、
翌日からに備えたのか?
それとも少しだけどこかを訪れたのか?
本当にもう何も覚えていないんだよなあ。
というわけで、
次回に続く。
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