
成田 – ロンドン経由 – マドリード
今からもう40年近くも昔々、
1986/3/9の日曜日。
何とかギリギリで間に合ったパスポートを手に、
スペインのマドリードへと向かった日だ。
もう30年以上もパスポートを使っていない

そういえば最後にパスポートを使ったのなんて、
ローリング・ストーンズの Voodoo Lounge Tour を観るために L.A. に行った時のことだ。
あのストーンズ弾丸ツアーは1994年10月のことだから、
こちらも既に30年経っている。
そんなわけで、
昔の話過ぎてパスポートをどうやって取得するのか?すらもう覚えていない。
今更だけど、
これはちゃんと調べておかなければ何も始まらないわけで。
当時スペインへの直航便はなかった
スペインへと出発したは20:55、
成田発の英国航空BA6便。
先ずはマドリードではなくて、
ロンドンへと向かう。
ロンドンで1度飛行機を乗り換えて、
マドリードに向かう行き方だったのだ。
そう言えば、
この頃って直行便はあったんだろうか?
調べてみると、
何と行った2ヵ月後に運行を開始していた。
イベリア航空が初めてマドリード-成田線を開設して乗り入れを開始したのは1986年5月。
1998年11月撤退まで12年6カ月運航していた。
その後イベリア航空唯一のアジア便として17年11カ月ぶりの2016年に復活。
ただ新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年から運休。
そして2024年10月から再び復活している。
初の運行から撤退と運休と2度も無かった時代もあるけれど、
今では週に3回の運行となっている。
ヒースロー空港へ
ロンドンのヒースロー空港には、
19時間近く経った現地時間3/10の朝5時過ぎに着陸。
5時間近くを空港内で過ごして、
9:45ヒースロー発の英国航空BA454便でやっとマドリードに向かう。
機内でどう過ごしていたのか?機内食はどんなものが出たのか?
ヒースローでの数時間は何をしていたのか?の記憶はもう完全に消えてしまっている。
機内でタバコが吸えた時代

ただ1つだけ、
まだ機内でタバコが吸えたことだけはよく覚えている。
今ではもう考えられないことだけれど、
昔は機内でもタバコが吸えたのだ。
飛行機や列車や駅や飲み屋やホテルでタバコが吸えるというのは、
以前はごく普通で当たり前のことだった。
でもそんな昔の普通で当たり前だったことは、
時と共におかしなことであり得ないことになってしまったりするものなのだ。
旅客機内禁煙化はアメリカが始まりといわれている。
最初は1981年設立のミューズエアという航空会社らしい。
この後に世界的機内禁煙の流れが生まれ、
1992年国際民間航空機関(ICAO)がタバコ健康被害と機内火災予防を目的に飛行機禁煙化勧告。
日本ではJALとANAが1998年に国内線を1999年には国際線を全面禁煙化している。
その後にはその他の国内航空会社も追随する形で禁煙化が進んだ。
消えたスーツケース事件

マドリード=バラハス空港には、
現地時間で13時頃に到着している。
まだあの頃は、
アドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港じゃあなかった(2014年に改名された)。
飛行機を降りて、
手荷物受取所に向かいスーツケースを待っていた時にそれは起こった。
待てども、
いつまで経っても手荷物カルーセルに自分のスーツケースがない。
当たり前だけど、
カルーセル上の荷物も待つ人も徐々に少なくなる。
そして、
カルーセルはやがて回ることを止めてしまった。
これは時間が経てば当たり前だったことが当たり前ではなくなるものなのだ、
という話ではない。
でも自分のスーツケースはその姿を現すことはなく、
当たり前だと思っていたことが当たり前ではない場合だってあるんだよということになる。
ロストバゲージ、
やれやれ個人旅行だから自分でどこかに行ってこの事態を説明しなければならない。
空港の人に身振り手振りで事情を説明、
荷物の内容や出てきた時の届け先などを訊かれて控えを貰って後は待つしかないという状況になる。
上の写真は、
その時の控えだ。
ロストバゲージのこと
ちなみにロストバゲージの確率ってどれくらいなのか?
というと…。
SITA(国際航空情報通信機構)によると、
ロストバゲージ発生確率は乗客1,000人当たり約7.6個=約0.76%とされている。
ただ紛失しても完全に見つからないことはほとんどなく、
適切に対処すれば1~3日ほどで戻ってくることが多い。
まあ、
確かに戻っては来たけど…。
では、
ロストバゲージに遭わないためには?
となると、
荷物を預けないことが1番良いわけだけど数泊じゃないから持ち込みオンリーとはいかない。
じゃあどうするの?
はこんな感じ。
【ロストバゲージ回避策】
- バゲージタグに誤りがないかその場で確認する
- 古いバゲージタグは取り除く
- 乗継便の場合は時間に余裕を持たせる
- 預ける締め切り時間ギリギリは避ける
- ネームタグを付けて持ち主を明確にしておく
【発生後を考えた対策】
- スーツケースの外見と中身の写真をスマートフォンなどで撮っておく
- 貴重品や必需品は機内へ持ち込む荷物に
- 荷物の特徴や中身の英文メモを用意しておく
トラベラーズチェック

まあ荷物が出てこないとは言っても、
パスポートやトラベラーズチェックなんかは当然手荷物にあったわけで。
貴重品や必需品は機内へ持ち込む荷物に、
は自然にそうしていたわけだ。
でも、
他のことは何もしていなかったはず。
荷物の特徴や中身の英文メモを用意しておく、
は知っていればやっておくべきだったけど当時はそんなこと想定していない。
実際に紛失荷物の具体的なサイズや容量や中身や外観など、
できるだけ詳しく報告する必要があったけど結構コレが苦労したことはよく覚えている。
そういえばトラベラーズチェックって、
今でもあるんだろうか?
トラベラーズチェック(T/C)は、
海外旅行者が現地通貨を利用しないで旅行先で支払いができた小切手の一種。
現地支払い時にサインして渡して現金の代わりになったり、
旅行先の両替所などで現地通貨に換金したりすることができた。
なので多額の現金を持ち歩く必要がなく、
紛失しても所定の手続きを踏めば再発行可能だった。
そんな T/C の日本での新規発行は2014年3月末で終了したらしい。
ただ発行済みのものは今でも利用可能。
もちろん(制限はあるが)売却もできる。
今じゃ普通にクレジットカードだから、
T/Cが終了になるのは必然だったのだ。
それに当時スペイン通貨はペセタだったけど、
今ではユーロになっている。
時代と共に、
物事はいろいろと刻々と変わるものなのだ。
いずれカードではない何か別のものが、
普通になる時代が来るかもしれない。
実際、
既にスマホで決済というのが普通になりつつある。
ところで、
今持っているカードはスペインで普通に使えるのか?
あと当時スペインはスリが多いなんて言われていたけど、
今でもそうなんだろうか?
このあたりも、
ちゃんと調べておきたい。
それでスーツケースの方はせいぜい着替えとかが入っているだけで、
大したものは入れていなかった。
なのでどうってことないと言えば確かにそうなんだけど、
それでも当時はかなり凹んだことは間違いない。
マドリード市内へ
とは言えこのまま空港で待っていても荷物がすぐに届くわけでもないから、
取り敢えずマドリード市内へと向かう。
どうやって移動したんだっけ?
全然覚えていない。
マドリード最初の食事はマックだったのだ

そんなわけで本当に宿泊先のホテルに届けてもらえるのかどうか?不安だったし、
実際今どんな状況なのか?は知りたい。
どこか日本語が通じるところを探して、
問い合わせてもらおうと市内を探しながらブラブラしてほぼ1日目は終了したはずだ。
確か翌日トレドの日帰りから帰ってきたら、
ちゃんと荷物が部屋に届けられていた。
まあ今となっては、
このアクシデントはそれなりに良い思い出となっている。
この出来事に関連して思い出すのが、
スペインでの最初の食事。
これがナゼわざわざスペインに行ったのに?
のマックだったわけで。
でも行ったこともないし言葉も通じない国で、
いきなりのアクシデントがあれば馴染みのあるお店となるのは仕方がない。
とは言えトレイに敷かれたメニューが載った紙や、
スクラッチくじはちゃんと残してあるんだから結構呑気なものだ。
個人旅行の醍醐味は小さな国際交流?

あと今でももう1つ思いされるのが、
荷物状況を問い合わせてもらえる日本語が通じる場所探しで道を尋ねたおじちゃんのこと。
おじちゃんとか言っているけど、
自分はもうそのおじちゃんの年齢を越えたはずだ。
その時に訊いたのは、
多分行きたい場所だったんだろうけど定かではない。
ただわざわざ地図まで描いてくれて、
お互い言葉が通じない中で一所懸命に教えてくれたことだけは覚えている。
スマホなんてないわけで、
誰かに訊くか慣れない場所で旅行者ですよって感じで地図を広げるしかなかった時代だ。
その時の地図を描いてもらった紙切れが上の写真で、
未だに手元にある。
これはある意味日本語しか話せない学生と、
スペイン語しか話せないおじちゃんとの小さな国際交流の記念品だ。
地図には
CALLE ALCALA.23 / Peligros.2 とある。
アルカラ通りとビルヘン・デ・ロス・ペリグロス通りがぶつかる場所、
調べるとメトロの Sevilla 駅のところ。
この地図がその時自分たちが居た場所を示しているのか?
問い合わせしてもらおうと探していた場所なのか?は定かではない。
もちろんツアーだったら、
こんな苦労はしなかったに違いない。
それに当時スマホがあったら、
全然違った半日になったに違いない。
でもこれはこれで良い思い出になっているし、
昔の自由旅行のある意味では醍醐味を到着早々味わったことになる。
これがスペインの最初ということで、
今でも記憶に残る印象深い日となったわけなのだ。
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