Camino a España 〜スペインへの道〜 Obertura

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1986年3月のサグラダ・ファミリア

上の写真はスペインはバルセロナ、
約40年も昔々1986年3月時点でのサグラダ・ファミリアの姿だ。

さすがに40年近くもまえの写真をスキャンしたものだから、
画質はかなり悪い。

でも、
これも今現在未完成の世界遺産が完成に至るまでの記録の1つではある。

ネット上で探してもなかなかこの頃のサグラダ・ファミリアの写真はないみたいだし、
画質が悪くてもこれはこれである意味貴重な記録なのかもしれない。

未完の世界遺産ではない

そうそう、
未完成の世界遺産という言い方はちょっと違うか。

だって世界遺産に指定されているのはサグラダ・ファミリア全体ではなくて、
生誕のファサードと地下礼拝堂だからだ。

既にこれらは完成されているんだから、
厳密に言えばこれは未完の世界遺産ではない。

よくこの未完の世界遺産という表現を見掛けるけど、
これって正確には間違っているわけで。

まあそんなことを言うのは、
野暮かもしれないけど。

1986年と1990年で止まったまま

ところでサグラダ・ファミリアの着工は1882年のことだから、
この1986年の時点でも既に100年以上が過ぎている。

そう考えると、
ここ最近の進捗の速さには目を見張るものがある。

これも観光客増加による資金確保と、
そして何よりIT技術によるところが大きいんだろう。

ただ自分の中のサグラダ・ファミリアは、
1986年とその後1990年に見た時の姿で止まっている。

今現在の写真を見たところで「ん?コレってCGか何か?」みたいな感じで、
実際の姿をこの目で見ないことには今のものとして感じることができないのだ。

これがもう1度スペインを訪れたいという、
動機付けの1つになっているのかもしれない。

ちなみにサグラダ・ファミリアは、
ガウディ没後100年の2026年完成予定だったけれど今のところ2034年という話だ。

メインのイエス・キリストの塔は2026年には完成するみたいだけど、
3つのファサードの最後となる栄光のファサードがまだ残っているからだ。

もちろん完成形も見たいけれど、
未完成の状態を再度見たいなという気持ちの方が強い。

出来上がってしまったら、
何だかサグラダ・ファミリアはサグラダ・ファミリアではなくなってしまう気がするからだ。

2回のスペイン

これまでスペイン訪れたのは2回で、
周辺の国にはイギリス以外は行っていない。

おまけのロンドン

1回目はロンドン経由で帰国だったからそのまま帰るのも勿体ないと思い、
おまけでロンドンに2泊している。

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もちろんロンドンに滞在したからには、
アビー・ロードに行ってお決まりのようにあの横断歩道を渡っている。

当たり前だけど、
横断歩道はあのジャケットの時とは風景が違っていたのは残念だったけど。

それでも外からアビー・ロード・スタジオも見ることができたし、
行っておいて本当に良かったと今でも思う。

そして夜はウェンブリー・カンファレンス・センターで、
オノ・ヨーコのコンサートに行っている。

1986年だから、
もうジョンはこちら側には居なかった。

それでも『Imagine』や『Give Peace a Chance』を、
会場に居る人たちと一緒になって唄えたことはとても良い思い出だ。

Yoko Ono Setlist Wembley Conference Centre, London, England 1986, Starpeace Tour

ナゼ スペインだったのか?

ところで、
ナゼスペインだったのか?

せっかくヨーロッパまで行ったんだから他の国にもアチコチ行っておこう、
ということにはならなかった。

ガウディの建築

これは、
1つにはガウディ建築群を見たかったからというのが大きい。

ガウディを見たかったのは明らかにサントリー・ローヤルのCMの影響が大きくて、
これも印象深いランボオ編に続く第2弾がガウディ編だった。

グエル公園とカサ・ミラ、
そしてサグラダ・ファミリアが登場する。

ただ建物が登場するだけではなくて、
得体のしれないものたちが場面場面に登場する。

あの映像と音楽はかなり衝撃的で、
とにかくホンモノを見に行きたいと思ったのだ。

あの頃に同じような理由でガウディを見に行った人って、
意外にいたりするかもしれない。

行かなかったとしても、
あのCMが今でも記憶に残っている人は居るはずだ。

スペイン画家の絵

そしてもう1つのスペイン行きのワケは、
ピカソやミロやダリやゴヤの作品のホンモノを見たかったから。

写真で作品を眺めることと、
実際に体験するのとでは全然違う。

だから、
どうしてもホンモノを見たかったわけで。

でもいつからそういった作品に興味を持ったんだろう?
ガウディのような明確なワケと違ってこちらのキッカケは全く思い出せない。

ただいつの間にか、
スペインの画家の絵が好きになっていたことだけは間違いない。

1回目のスペイン

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1回目のスペインはフレディ・マーキュリーとモンセラート・カバリェ、
1988年のアルバム『Barcelona』リリースよりも前。

1981年佐野元春が『バルセロナの夜』を、
シングル・リリースよりはあとの話。

CL 1985-86 2nd.leg ユベントス vs バルサ

それは1986年3月UEFA Champions Cup 1985-86 で、
バルサがユヴェントスに準々決勝でトータル 2-1 で勝利した頃。

ホームのカンプ・ノウででの1st.legは、
82分にフリオ・アルベルトのゴールで1-0で勝っていたバルサ。

アウェイの、
スタディオ・オリンピコ・グランデ・トリノに乗り込んでの2nd.leg。

32分、
スティーブ・アーチボルドのゴールでバルサが先制して計2-0とユヴェントスを引き離す。

前半終了間際、
ユヴェントスのプラティニのゴールで1点差に詰め寄ったがそこまで。

後半は点が入らず、
バルサがトータル 2-1 で準決勝に駒を進めることになる。

グラナダでホテルに向かう途中、
このバルサの勝利で通りがお祭り騒ぎになっていたことを今でもよく覚えている。

車はクラクションを鳴らしまくり、
道行く人たちは叫び声を上げていた。

当時はサッカーにそれほど興味が無かったから、
最初は何の騒ぎかわからなかった。

ホテルのフロントでそのワケをで教えてもらってやっと知ったわけだけど、
その熱狂ぶりには(今ならわかるけど)驚かされたことを今でも覚えている。

※その後バルサは準決勝でスウェーデンのIFKヨーテボリに勝利して決勝に進むけど、
 ルーマニアのステアウア・ブカレストに決勝で敗れている。

2回目のスペイン

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2回目に訪れたのは、
1回目からは5年後の1990年9月のこと。

リーガ・エスパニョーラ 1990-1991 シーズンが始まる頃

まだバルセロナ・オリンピックは、
開催されていない。

ちょうど、
リーガ・エスパニョーラ 1990-1991 シーズンが始まる頃。

このシーズンはヨハン・クライフ率いるバルサが、
レアル・マドリードの6連覇を阻止して6シーズンぶりに優勝した時だ。

この時レアル・マドリードは3位で、
2位はアトレチコ・マドリードだった。

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3回目は未だに実現していない

1回目と2回目の訪問は僅か4年半しか空いていないけど、
3回目は35年も経ったのに未だ実現していない。

もちろんその間に何回か海外旅行には行っているけれど、
スペインともなると短い期間で行く気にはなれずにズルズルとここまできてしまった。

毎日が日曜日にでもなったら今度こそゆっくり行こうと思ってここまで来たけれど、
まだしばらくは月曜日がちゃんとやってくる。

とは言え、
もうそんなに先のことでもないのでそろそろゆっくりと準備を始めようかなと思ったわけで。

先ずはもう記憶が薄れてしまってあまり覚えていないけど、
過去2回の振り返り。

そして次回訪れたい場所について、
いろいろとリサーチしてシミュレーションしてという感じ。

そういう時間が、
実は結構楽しかったりするはずだ。

そしていつか、
実際に3回目に行った旅行記録をここに掲載できれば良いなと思っている。

ということで、
ぼちぼち始めてみようと思う。

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