
正式名はサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ聖堂
Panteon de Goya、
パンテオンとは霊廟とか墓地の意味。
ゴヤがココで眠っているので、
ゴヤのパンテオンと呼ばれている。
正式にはサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ聖堂、
Ermita de San Antonio de la Florida 。
1798年、
スペイン国王カルロス4世の命により建てられたもの。
同じ敷地内には、
もう1つ全く同じ建物が双子のよう建っている。
向かって右にあるものが元々のホンモノで、
左にあるのは後から建てられたレプリカ。
これは、
お祈りに来る人達のロウソクの煤でフレスコ画が傷むことから建てられたもの。
1928年に全く同じ形の礼拝堂を建てて、
ミサなどはそちらで行われるようになっている。
レプリカとは言え、
その歴史はもうすぐ100年になるんだからレプリカなんて言い方はしてはいけないな。
パドヴァの聖アントニオの奇跡

ここに行くべき理由は、
ゴヤが描いた天井のフレスコ画があるからに他ならない。
当たり前だけどこの作品を移動することは不可能だから、
ココに行かない限りこの作品を見ることはできない。
描かれたのは1798年、
ゴヤが52歳の時。
作品のタイトルは パドヴァの聖アントニオの奇跡、
Milagro de San Antonio de Padua 。
パドヴァの聖アントニオが行った、
数多くの奇跡のエピソードのうちの1つを描いている。
そのエピソードとは聖人の父であるマルティン・デ・ブロネスに殺人の容疑がかけられ、
民衆が見守る中でアントニオがその死者を蘇らせて父の無実を語らせたというもの。
本来の舞台はポルトガルのリスボンだけど、
ゴヤはマドリードにその舞台を移して描いている。
そして普通は人間を下に天界を上に描くのに対して、
ゴヤは逆に天使を下層に配置して人間の世界を真ん中のドームに描いているところが面白い。
写真撮影はダメみたいだけど、
それでもネット上ではこの作品を見ることができる。
ただ当たり前だけど、
これはホンモノを見ないとやはりダメだと思う。
実際に天井に描かれたものを見なければ、
その素晴らしさはわからない。
ゴヤのお墓
内部の祭壇の下には、
ゴヤが眠るお墓がある。
ゴヤが亡くなったのは1828年、
スペインではなくて亡命先のフランスのボルドーでのこと。
この作品を描いてから30年後、
82歳だった。
最初はそのままボルドーのラ・シャルトリューズ墓地に埋葬されたが、
1899年にマドリードに移されている。
その際、
既に頭蓋骨はなかったようだ。
マドリードでは、
先ずサン・イシドロ教会の地下室に預けられた。
その後サン・イシドロ墓地の 著名な人々のパンテオン、
Panteón de Hombres Ilustres に埋葬。
そして1919年、
このサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ聖堂に移されてからはゆっくりと眠っている。
基本情報
現在、
2025年3月17日より一般公開を停止している。
国立文化遺産局が2025年を通して行う保存作業のためらしいが、
2026年になればまた公開されるだろうから3度目も見られないということはなさそうだ。
![]() | Glorieta San Antonio de la Florida, 5 28008 Ver Mapa |
![]() | ・地下鉄: Príncipe Pío (líneas 5, 10 y ramal Ópera – Príncipe Pío) ・バス: 41, 46 y 75 (Intercambiador Príncipe Pío) ・レンフェ: Príncipe Pío ・BiciMAD(レンタサイクル): Estación 161 (Paseo de la Florida 8) |
![]() | 通常: 火~日 9:30-20:00 6/15-9/15: 火~日 9:30-19:00 ※最終入場: 閉館20分前(退出は10分前より開始) |
![]() | 月曜日(祝日を含む), 1/1・6, 5/1, 12/24・25・31. |
![]() | 無料 |
![]() | フレスコ画だけなので30分くらいか |
![]() | × |
![]() | https://www.madrid.es/ermita |
ゴヤの銅像
ちなみにこの教会とは道を挟んだところにあるのがゴヤの銅像、
Estatua de Francisco de Goya y Lucientes 。
台座には、
ゴヤのサインを拡大したプレートが嵌め込まれている。
ゴヤを称える壁画
教会向かって右手を歩いて行って、
左に曲がると壁に絵が描かれている。
描かれているのはゴヤの作品で、
プラド美術館にある1814年に描かれた El 3 de mayo en Madrid(1808年5月3日、マドリード)。
これは市議会から委託されて、
ハビエル・ロボ(ミーク)が描いたもの。
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